その黒色火薬は薄暗くほこりっぽい倉庫で生まれた。非合法の生まれだった。硝酸カリウム75%、硫黄10%、木炭15%を混合し、注意深く木箱に詰められ、さらに幾重か包装されて、現金と引き換えに送り出された。
 黒色火薬は空を知らない。材料だったころには見ていたのだろうけど、混ぜ合わされて火薬となったのは屋根の下で、そのまま包まれてしまったから、黒色火薬は空を知らない。自分の行き先、さだめも知らない。ただひとつ、自分を生み出した親である、造物主である人間の指、その感覚だけはそっと覚えていた。薬品で黒ずんではいたけれど、白くてしなやかな、優しい指。その美しい手際でつくり出された原始の記憶を火薬は静かに抱いていた。梱包された箱の中、ぎっしりと隙間を埋めながら、空を知らない黒色火薬はゴトリゴトリと揺られていく。造物主の愛を身の内に孕み、胎児のように、密やかに。



 到着したのはこれまた薄暗い建物で、一見すれば廃墟のよう。黒色火薬は仲間たちのいくつかと一緒に下ろされ、車がまたゴトリゴトリと去っていくのを聞いていた。陰気な部屋のひとつに運びこまれる。包装をむかれて少し身体を震わせると、細かな粉が舞い上がった。
 黒色火薬はさらさらとたゆたう。とりどりのセロファンやチューブに少しずつ包まれ、絡められ、取り込まれていく。ひとつまみが机の上、広げられた図面にこぼれ落ちる。黒色火薬は知らない。図面を埋める記号の意味を知らない。大きな橋を表していることを知らない。橋の構造がこと細かに記されていること、その急所、どこにどの程度の衝撃を与えれば崩れるか。全部知らない。図面の中で、自分が与えられている役割を知らない。
 信管や導線や何やかやで組み上げられた器はありふれたボール紙の箱に収まり、目立たない紙袋、あるいはぼろ布でくるまれる。ひとつずつ、少しずつ、黒色火薬は連れ出され、図面に赤でしるしのついた場所へと設置される。黒色火薬は知らない。数日後、さる要人がその橋を渡る予定であることを。要人を亡きものにする計画があることを。自分が爆弾になったことを。黒色火薬は何も知らない。黒色火薬はただ火薬であり、それ以上でも、以下でもない。



 結局、爆弾になった黒色火薬が爆発することはなかった。寸前で計画が発覚し、関係者たちは捕らえられ、爆弾の黒色火薬はひとつ残らず回収された。信管を抜かれ、回路を切られ、だけど火薬は落胆しない。絶望もしない。火薬は別に、爆ぜ飛ぶことに自分の意義を見いだしてはいないのだ。かれは黒色火薬として、ただただ存在するだけだから。
 黒色火薬は知らない。
 黒色火薬は知らない。
 命を狙われた要人はその国の王だった。
 皇帝だった。太陽を編んだ金色の髪に、夜を薄めた肌、深い海を映したひとみの人間の男。
 黒色火薬は知らない。
 報告を受け、気のない様子でうなずいた男が、なおも続く犯人たちの処分を聞き流しながら、黒色火薬について考えていたことを知らない。
 男は思う。俺と同じだ、と。そこに在るだけで、ただ在るだけで、周りを動かし、走らせるもの。巨大な力を持つ、けれど自分では何もできない。周囲の意志とともにしか、力を行使できないもの。善とも、悪とも、なりうる存在。
 男は思う。手慣れた自嘲と、ほんの少しのシンパシーをこめて、俺とおんなじじゃないかと。黒色火薬は知らない。知るよしもない。



 分解されたり採取されたりしたあとで、黒色火薬はずらりと棚の並ぶ地下室へ移された。動かない空気に綿のような静寂をしきつめた闇の中、黒色火薬はうつらうつらとまどろみにひたる。ここで一定期間保管された後、黒色火薬は廃棄され、その生涯を閉じることになる。黒色火薬は何も知らない。空を知らない黒色火薬が夢を見ることは多分ないだろう。













20080401
黒色火薬って威力弱いからほんとは花火くらいにしか使わないらしいですよっと